
▲久万高原町大川の八柱神社境内の堂山鎮守社

愛媛県上浮穴郡久万高原町大川の八柱神社境内にひっそりと佇む「堂山鎮守社」(旧称:堂山権現総祈願所)
そこに建てられた一つの石碑(大川村権現伝聞記)に刻まれた文字——その本当の意味を知る者は現在誰もいません。
しかし、文書の暗号を紐解いていくと、そこには江戸時代初期、この地を治めた支配者による衝撃の裏切りと、過酷な支配に立ち上がった先人たちの命懸けのドラマが隠されていたのです。
本記事は、この石碑に秘められた歴史ミステリーのポイントを5分で分かるように要約した「ダイジェスト(予告編)」です。

▲八柱神社境内に佇む『堂山権現伝聞記』の石碑。
「むかし此郷の狩人奥山にて鹿を見付、城ヶ森まて追ふに異形に見へ忽(たちまち)見へす、夫(それ)より雨乞か森に烏(からす)騒けるを不審におもひ彼山に登れは……」と刻まれた不思議な言葉の中に、先人たちの暗号が隠されています。

この石碑文を一見すると、誰もが上のイラストのような「大昔の山奥での鹿狩りや、怪しい鹿にまつわる昔話」を思い浮かべるはずです。
『一体なんの話だ? 現代の言葉と違って読みづらいし、理解できないからついてゆけない。もうやめよう……』と、誰もが興味を失ったはずです。
それもそのはず、これまでこの碑文は表面的な形だけで扱われてきたからです。
- 神社関係者: 神社の由緒に関する古文書を発見した
- 石 碑 建 立: 鹿の精霊が聖地に導いたありがたい伝承として石碑に彫った……?
- 本 記 事: そこに眠る「暗号」と「真実」を解き明かす
驚くべきことに、石碑の建立に立ち会い氏子総代まで務めた地元の長老でさえ、その真実を何も知らなかったのです。
しかし、それこそが厳重な警戒の目を潜り抜け、後世に真実を伝えるために執筆者が施した巧妙な「カモフラージュ」だったのです。
先人たちは、このような伝聞記を通して、一体何を伝えなければならなかったのでしょうか——。
そして、石碑の原文は、一体どこからもたらされたものなのでしょうか——。
なお、同年代を背景とした「堂山大権現伝説」という地域伝承も現存していますが、こちらはおとぎ話のような美談として昇華された内容となっています。
暗号解読のダイジェスト
① 恐怖政治の始まり――「伊予の関ヶ原」から始まった残党狩りと、過酷な久万山支配

戦国時代の終わり、関ヶ原の戦い(1600年)。
伊予松前(正木)城主である加藤嘉明(かとうよしあき)が天下分け目の決戦へ出陣し、留守となった隙を狙って起きたのが「毛利軍(旧河野家臣連合軍)による伊予の関ヶ原(三津浜・荏原・久米の戦い)」でした。
この時、松前城の留守を守り軍勢を率いてこれを鎮圧し、大功を立てたのが、嘉明の筆頭家老である佃十成(つくだ かずなり)でした。
この功績により嘉明は伊予松山藩の初代藩主となり、その功により代官として久万山の支配を任されたのが佃でした。
しかし、そこから始まったのは、戦で毛利方に呼応した久万山の旧河野家臣層に対する過酷な「残党狩り(敗走した敵対勢力やその家族・関係者を徹底的に捜索・処刑すること)」と恐怖政治だったのです。
佃一派は久万山から旧臣層の影響力を断ち切るため、村人に不当な疑いをかけて凄惨な取り締まりを実行。
さらに、村人たちを毎日松山の佃屋敷まで呼びつけて過酷な労役や重税を課し、特に大川村をはじめとする収奪した手作地では、百姓たちへの激しい責め立てを繰り返しました。
その一方で、自らは『伊予に一つの花の家』と俗謡で歌われるほどの豪華な屋敷(花屋敷)に暮らし、贅の限りを尽くしていたのです。
こうして、久万山の村人たちは極度の困窮へと追い詰められていきました。

②「大坂夏の陣」での救命の忠義と軍功、恩を仇で返した久万山代官への「排斥運動」

▲大坂夏の陣当時、武将たちが見上げた黒漆と金の装飾が映える大坂城。しかし、豊臣家の滅亡とともに炎の中へと消えていった。

久万山の若者たち(大川村の土居三郎右衛門ら)は、のちの徳川と豊臣の最後の大坂決戦「大坂夏の陣(1615年)」に久万山代官・佃の配下として18歳で参戦します。
その激戦のさなか、敵に追われ川に沈んだ佃を救うため、彼らは決死の覚悟で鉄砲と槍を手に追手を討ち取り、船をまわして救い出しました。

助けられた佃は「必ずこの恩に報いる」と誓いましたが、久万山に戻るとその約束を完全に無視し、相変わらず村人を虐げ続けたのです。
命の恩義すら踏みにじる冷酷な支配に耐えかね、土居三郎右衛門をはじめとする久万山の先人たちは寛永3年(1626年)、雨乞いの森の「堂山権現」に決死の誓いを立てた上で、藩主・加藤嘉明へ領主交代を求める「佃十成の排斥運動」へと立ち上がったのです。
藩の人事に口出しすることは主君に逆らう無礼にあたり、一歩間違えれば死罪を免れない時代。それでも彼らは、久万山と民の未来を守るために立ち上がったのです。

③ 石碑『堂山権現伝聞記』は、真実を隠した暗号だった!

▲執筆者の背後には、決して忘れられない「命懸けの記憶(戦場)」が業火となって浮かび上がっていた。
支配者の厳しい目を逃れ、この真実を後世に伝えるため、先人たちは史実を「神話を装った暗号」として記録に残しました。
『伝聞記』は冒頭から暗号です。
「むかし此郷の狩人奥山にて鹿を見付、城ヶ森まて追ふに異形に見へ忽(たちまち)見へす、夫(それ)より雨乞か森に烏騒けるを不審におもひ彼山に登れは……」
- ■ 「城ヶ森」
= 大川から仰ぎ見る「狼ヶ城山」の山容が城郭に見えることから、大坂夏の陣の「大坂城」に見立てた舞台設定 - ■ 「鹿」
= 武威を誇る佃の兜(かぶと)姿 - ■ 「狩人」
= 佃に従って参戦した久万山の兵士たち(従軍祈祷師である神子の石見を含む) - ■ 「追う」
= 大坂城や敵陣への攻め込み - ■ 「異形に見えたちまち見えず」
= 鎧の重さで溺れもがき、川に沈んでいく佃の異様な姿 - ■ 「烏(からす)騒ける」
= 佃が水中へ消えていく異変に驚き、うろたえ動揺する近習衆(佃側近のSP)たちのざわめき - ■ 「不審におもい彼山(かのやま)に登れば」
= 異常な騒ぎに気づいた土居三郎衛門らが、主君の一大事と察知して現場へ急ぎ駆けつける様子
一見するとただの不思議な昔話に見える碑文は、実は過酷な時代を生き抜いた先人たちの「怒りと告発の記録」だったのです。
【視覚で味わう暗号解読:実際の狼ヶ城とイメージ合成】


※画像解説:大川から見上げる「狼ヶ城(城ヶ森)」の威容に大坂城を重ね合わせたイメージ。まるで城郭のようにそびえる山の姿は、先人たちにとって「大坂夏の陣」の舞台・大坂城そのものに見えたのかもしれません。

▲『鹿』は、武威を誇る佃の兜(かぶと)姿

▲『異形に見へ忽見へす』――重い甲冑に阻まれ、川底へ沈みゆく惨状
(※伝聞記の文中には、一般的な神社の由緒にはおよそ似つかわしくない「心穢の輩(こころけがれのやから)」という、憎悪すら感じる激しい言葉が刻まれています。果たしてこの「心穢の輩」とは誰を指し、先人たちは何を祈っていたのでしょうか——。)
④歴史から消された「堂山権現」の真実――文武天皇の勅命で大宝寺を守った、太古の国家防衛拠点

▲菅生山大宝寺を遠望できる美川峰の岩窟に堂山権現の聖地があります。

▲堂山権現(旧称、御山権現)の聖地の岩窟

▲聖地の岩窟に祀られた堂山権現の祠(藩主・加藤嘉明に訴える前に祈り誓った地)
八柱神社境内の「堂山鎮守社」
現代では地元の小さな社として知られていますが、その由緒を紐解くと、私たちが想像もしていなかった壮大な歴史が浮かび上がってきます。
その原点は、はるか太古の昔、奥山にそびえる巨岩と岩窟(がんくつ)を神体とした自然信仰にありました。

▲ 堂山権現の岩窟近くの大木の中に鎮座する巨岩「夫婦岩」
(※まるで大宝寺のご本尊・十一面観世音菩薩がそこに佇んでいるかのような、不思議な姿をしています)
- ■ 大寺院「大宝寺」を守る神様――当時は「御山権現」と呼ばれた存在
四国八十八ヶ所・第44番札所として知られる名刹「菅生山大宝寺」の創建(大宝元年・701年)とも深く関わり、古くから大宝寺を守護する特別な存在でした。 - ■ 文武天皇の勅命が届いた国家の祈祷所
大宝元年(701年)8月、文武天皇(もんむてんのう)の勅命を受けた国司がこの地を訪れ、同年創建された大宝寺を守るために古くなった社殿を「国家プロジェクト」として再建。仏法と神の威光による国家の安泰や大宝寺の守護、民の安寧、雨乞いの祈りを捧げたという、格式高い聖地だったのです。伝聞記中にも「時昔宮人の入玉ふ御山と聞(※その昔、都の貴人・宮人がお入りになった御山と聞いている)」とあります。

▲大宝元年(701年)の大宝寺創建時、同寺を守る神として岩窟に再建された御山権現(堂山権現)の社殿イメージ
大宝寺の創建当時は宗派の概念がなく、その後、天台宗を経て真言宗へと至る宗派の変遷や、時の権力・時代の都合、そして江戸時代以降に「庶民に親しまれるお遍路の札所(第44番大宝寺)」として四国八十八か所巡礼文化が形成されるに伴い、守護の中心はお大師様へと移っていきました。
そうした時代の波の中で影に隠れ、いつしか人々の記憶から忘れ去られていた「堂山権現」――。先人たちが古文書に秘めた暗号は、この古の聖地に刻まれた「真の歴史」を後世に呼び覚ますためのものでもありました。
💡 ワンポイント解説:権現(ごんげん)とは?
「権」は「仮の」、「現」は「現れる」を意味します。日本の神仏習合(日本の様々な神様への信仰と仏教が結びつくこと)において、如来や菩薩が人々を救うために神の姿となってこの世に現れた存在のことです。
【完全版】さらに詳しい歴史の全貌を知りたい方へ(総文字数 約25,000字の完全解読)
3年の歳月をかけて解き明かした詳しい歴史の全貌、現地調査、「堂山権現」に秘められた真の姿、そして伝聞記原文一字一句の解読は、下記の詳細記事で公開しています。
※本記事は、筆者個人が現地調査および関連史料の解読を行いまとめたものです。歴史研究の専門家ではないため、解釈や表記に不十分な点がございましたらご容赦ください。