人権の花運動 「風船ひまわり物語」

柳谷小学校 久万高原町「風船ひまわり」の咲いた花だんが雪景色

2020年3月1日

柳谷小学校 久万高原町 運動場の雪景色

柳谷小学校 久万高原町 運動場の雪景色

真夏の8月に「風船ひまわり」が咲いていた柳谷小学校の冬は雪景色にかわります。

このページの記事の内容

  1. 柳谷小学校 久万高原町「風船ひまわり」の咲いた花だんが雪景色になりました。
  2. 久万高原町 柳谷小学校の冬は通学路にも雪が積もります。
  3. 久万高原町 柳谷小学校の周りの山並みは一面の銀世界に変わります。
  4. 今から50年前の久万高原町の真冬の子どもたちのお話しです。

1.柳谷小学校 久万高原町「風船ひまわり」の咲いた花だんが雪景色になりました。

柳谷小学校 久万高原町「風船ひまわり」の咲いた花だんが雪景色になりました。

冬になると「風船ひまわり」が咲いた柳谷小学校の花だんは深い雪におおわれます。

風船ひまわりが咲いていた夏の写真

柳谷小学校 愛媛久万高原町 真夏の8月に風船ひまわりが咲いた花壇

柳谷小学校 愛媛 久万高原町 真冬の運動場

8月の真夏の写真

柳谷小学校 8月真夏の運動場

雪化粧した久万高原町立柳谷小学校の校舎

柳谷小学校の校舎も雪化粧

2.久万高原町立柳谷小学校の冬は通学路にも雪が積もります。

久万高原町立柳谷小学校 に子供たちが登校する通学路にも雪が積もります。

久万高原町立柳谷小学校の冬の通学路、子どもたちが歩く通学路も雪が積もります。

雪道は先に歩いて道をつけてくれた人のあとを歩くと楽ですが、たまにそれてだれも通っていない所を歩くのも楽しいですね。

柳谷小学校校門前の真っ白な雪

久万高原町立柳谷小学校校門前の積雪

3.久万高原町立柳谷小学校のまわりの山も雪景色に変わります。

久万高原町立柳谷小学校のまわりの山も雪景色に変わります。

柳谷小学校に入る国道440号線の積雪

柳谷小学校のまわりの雪景色

柳谷小学校のまわり山の雪景色

4.今から50年前の久万高原町の真冬の子どもたちのお話しです。

今から50年前の久万高原町の真冬の子どもたちのお話しです。

真夏にひまわりが咲いた柳谷小学校から真冬の雪景色の柳谷小学校まで季節が大きく変わりました。

少し「風船ひまわり」のお話しから、はなれますね。

私の小学校時代、今から50年位前の冬の思い出を書いてみます。

みなさんのおじいちゃんの時代の寒い冬のお話ですね。

美川西小学校

私の通った小学校は柳谷小学校の山並みの北側方向にある美川西小学校です。(左写真、クリックで拡大できます。)

今は同じ場所に美川小学校があります。

柳谷小学校と同じ山間地の学校ですから冬は雪が積もりました。

積雪の回数や雪の深さは今よりもずっと多かったと思います。

深さが腰ぐらいまであるような大雪の日には、学校が休校になることがあったりして、その時はうれしかったです。

50年前のお話のもくじ

  1. 雪がつもった時の久万高原町の子どもたちの雪あそび(竹スキーとキンマ)
  2. 雪がつもった時の久万高原町の子どもたちの雪あそび(かまくら)
  3. 久万高原町に雪がつもった時の登校のようす。
  4. 今から50年前の久万高原町の小学校の暖房(だんぼう)は石炭ストーブでした。
  5. まとめ

1.雪がつもった時の久万高原町の子どもたちの雪あそび(竹スキーとキンマ)

雪がつもった時の久万高原町の子どもたちの雪あそび(竹スキーとキンマ)

雪がつもった時の久万高原町の子どもたちの雪あそび(竹スキーとキンマ)

スキー遊びのイラスト雪が積もると、父や兄が作ってくれた竹スキーや木製のソリ(キンマ)で近くの友達と夕方暗くなるまで畑や坂道をすべって遊んでいました。

竹スキーは広い畑ですべり、キンマは人が通る急な坂道が特設コースになります。

小学生の男の子の雪遊びではキンマが一番人気でしたね。

キンマに乗ってすべるコースはまっすぐな道よりも曲がりくねった道の方が、はくりょくがあって楽しいです。

コースの途中に高さ30cmぐらいのジャンプ台を雪を固めて何か所か作ります。

スピードをあげたキンマでジャンプ台を飛びこえるのです。

だから、丈夫なキンマでないとすぐにこわれてしまいます。

みなさんが知っている右のイラストのような、黄色や青のプラスチック製のソリで同じことをすると、すぐに割れてこわれてしまうことでしょう。

下まですべり終わるとキンマについたロープを引いて坂道を上り、何度もすべります。

何度も同じところをすべっていると雪が氷のようにかたくなって、さらにスピードが出てスリル満点でした。

スピードが出すぎてコーナーを曲がりきれずに道の横の1m以上も段差のある畑に転落することはしょっちゅうです。

キンマの運転そうさが上手なお兄ちゃんたちは、一人で乗る事ができない小さな子どもたちを前に乗せて二人乗りですべっていました。

キンマに使う材料は桜の木が丈夫ですべりもよいのですが、桜の木がなくて他の木を使う時は、キンマのソリ部分に竹を割って火であぶりながら曲げて取り付けるとよく滑りました。

そういった竹スキーやキンマの作り方も見よう見まねで教わって自分たちでも作れるようになりました。

さらによく滑るようにロウソクをすべる部分にこすりつけたりとか、色々と工夫していました。

2.雪がつもった時の久万高原町の子どもたちの雪あそび(かまくら)

雪がつもった時の久万高原町の子どもたちの雪あそび(かまくら)

雪が深くたくさん積もった時は「かまくら」も作っていましたね。

スコップやジョウレン、一輪車などで周りの雪を集めて山のように積み上げ、固めてから横から人が入れるぐらいの小さな入口の穴をスコップで開けて中をどんどんくりぬいて作ります。

中からかきだした雪を「かまくら」の上に積み上げる事をくりかえす事によって、さらに大きな「かまくら」が出来上がります。

「かまくら」の中は暖かなイメージですが、外にいるよりは風が当たらない程度で特に暖かいお部屋にはなりませんね。

3.久万高原町に雪がつもった時の登校

久万高原町に雪がつもった時の登校

雪が積もっても登校しないといけない時は、片道4km位の雪の中を歩いて集団登校していました。

私より少し前の世代では「風船ひまわり」を見つけた所の近くにも集落があって、そこからも通学している子どもたちがいました。

その集落は標高が高い所にありますから、学校の積雪量の倍以上は深く積もり、大変な登下校だった事でしょう。

私たちの登校する通学路の途中には、山の峠を越える山道もありました。

一人が歩ける位の道幅で登山道のような通学路です。

山道だから木に囲まれています。

風が吹くと木の枝に積もった雪がドサッ、と降りかかる事はしょっちゅうです。

木から雪が落ちてくる事は、とつぜんの出来事ですからビックリします。

落ちてきた雪が首から入ると、飛び上がるほどに、とても冷たかったです。

首筋から入った雪はすぐにとけてしまいますからどうにもなりません (´;ω;`)ウッ…

首に雪が入らないように首巻きやタオルを巻いていないと雪のトンネルになっている山道歩きは大変でした。

久万高原町の木に積もった雪

わざと、木をゆすって雪を落とすイタズラ者もいましたね。

特に竹林は雪が積もると完全にトンネル状態でした。

雪道に、はくくつは長ぐつですが、長ぐつの中にも雪が入って大変でした。

深い雪の時には農作業で使う「うでぬき」を長ぐつに付けて雪がくつの中に入るのを防いでいました。

また、雪の坂道はよくすべります。

登りの坂道よりも下りの坂道の方が危険です。

みんな何回か、すべって転んで雪の坂道の歩き方を自然に覚えました。

真冬の通学時間帯は氷点下まで気温が下がる日もあって、とても寒かったです。

両親が手が冷たくならないようにと、直径5cm位の丸い石ころをコタツの炭の火の中で温めてから布でくるみ、その石をポケットに入れて温まりながら学校に行きました。

学校近くになると石の温度も下がって冷たくなってきますから石は山の中へ“ポイ”と捨ててから登校です。

当時は今のように手でもむと温かくなる使い捨てカイロはありませんでした。

自然に返すことができる石ころのカイロはかんきょうにとてもやさしいカイロだったと思います。

今の使い捨てのカイロは、すぐに自然にかえることができませんから山の中に捨てることは出来ませんね。

4.今から50年前の久万高原町の小学校の暖房(だんぼう)は石炭ストーブ

今から50年前の久万高原町の小学校の暖房(だんぼう)は石炭ストーブ

当時の冬の学校は、今の学校と大きく違うところがありました。

それは学校の暖房に石炭ストーブを使っていたということです。

蒸気機関車を動かすための燃料に使用している、あの黒い色の石炭です。

蒸気機関車の石炭を燃やすところにスコップで入れているシーンをテレビで見たことがあると思います。蒸気機関車のイラスト

スコップですくって投げ込んでいる砂利のような黒い石ころが石炭ですね。

学校が見えるところまで来ると教室から外に張り出したブリキの丸い煙突から石炭に着火させるための焚きつけの木(たきつけのき)のけむりが、もくもくと出ていました。

学校の屋外スピーカーからは「♪わたろ~わたろ~何見てわたろ、信号見てわたろ、赤青黄色、青になったら~わたろ♪」の音楽放送も聞こえてきます。

信号機なんて無いのに「信号見てわたろ」とは・・・?と、当時は思っていました。

こんな歌でしたね!ユーチューブ動画


石炭への焚きつけの木は、順番で家から持って登校します。

一束にしての登校ですから、ランドセルに加えてかなりの重さの荷物になります。

二宮金次郎がおいこで背おっているような蒔(まき)を両手でかかえて、しかも背中にはランドセルを背おっての登校ですから二宮金次郎よりも大変です。

通学路が山道だから学校近くの山から木の枝を拾って持って行ったこともありました。

焚きつけ木への点火の一番初めに燃やすものは、新聞紙とか、わら版紙ですが、着火力が強いのは杉の木の茶色くなった枯れた葉(杉葉、スギバ)ですね。

杉葉に火をつけてその火が小枝や細く割った木に燃え移り、次に大きな木に燃え移り、その大きくなった火から石炭に着火します。

小さな火にいきおいを付けるための送風機「ひふき竹」もありました。

送風機と言っても直径5cm長さ50cm位の竹の筒の節の部分に小さな穴を開けた道具です。

竹の筒に口をつけて息を吹き込んで風を出す仕掛けです。

石炭に着火するまでは教室にけむりが立ち込める事もたびたびの出来事でした。

とてもけむたくて目が痛くなりました。

目が痛くなると鼻水も出てきて、みんなの鼻水をすする音がきこえてきます。

石炭は石ですからいきなりマッチやライターで火を付ける事はできません。

バーベキューで使う木炭に着火させるよりもはるかにむずかしいですね。

石炭石炭のほかに、コークスと言う石炭から作り出したあまり暖かくならない燃料も使っていました。

お家で風呂わかしの焚き付けや畑仕事、田んぼの作業等での休けい時間にお茶をわかす作業を手伝っていた子どもたちは石炭への着火がとても上手でしたね。

当時(約50年前)の農作業では畑の小屋で火を焚いてお湯を沸かしてお茶を入れるのが当たり前でした。

今のような、ほおんきのうの付いた水筒はありませんでしたから、お湯が必要な時はたき火でお湯をわかす方法しかありませんでした。

しかも、当時の農作業などの外の仕事では午前10時頃と午後2時頃の二回の食事(二番じゃ)をとっていましたから幼い子どもたちも火起こし焚き付け作業を自然に覚えました。

二番じゃは、おやつの時間とは違います。昼間にご飯を二回食べるのです。

朝ごはん、10時のごはん、2時のごはん、夕ごはん、と一日に4回の食事です。

今の昼食はお昼の12時一回だけですね。

今の時代にお昼ごはんを二回も食べていたら、すぐに太ってしまいますね。

昔の農作業は、今のような便利な農業機械がなくて、人の力だけで作業をしていたから、すぐにおなかがすいてきたのでしょうね。

それと、家族やまわりの人とのコミュニケーション(なかよくすること)の時間を多く作っていた気がします。

また、当時の家の炊事場(台所)には「おくどさん」←人の名前ではありません。が、ありました。

おくどさんが分からなければ画像検索でググってみてね。

おくどさんに火を焚きつける事を小さい時から見てきている子どもたちですから石炭ストーブを使いこなすことはむずかしいことではありませんでした。

小学校4年生?位ころから石油ストーブに変わりましたが、オイルショックの時(石油の輸入量が少なくなった時期)は、各教室のストーブ一台の一日の使用量が数リットルと決められていて、とても寒かったです。

5.まとめ

レンゲのイラスト冬が過ぎて春夏秋と季節に合わせた遊びが沢山ありました。

春は杉玉鉄砲作りに始まり、下校時にはイタンポ(イタドリ)をとってかじったり、イタンポの水車を作って通学路にある用水路で回したり・・・・・!

女の子はレンゲやクローバーで頭にのせるかんむり、とかを作っていましたね。

50年の年月が過ぎても小学校時代の出来事はよく覚えています。

私と同年代の方がこの記事を読まれるとなつかしく思い出される事でしょう。

私は松山市に住んでいますが、今でも子どものころと同じように時間があれば久万の山の中を走り回っています。

柳谷小学校で咲いた風船ひまわりの花

だから柳谷小学校で咲いた「風船ひまわり」と出会うことができたのです。

愛媛県松山市南吉田町2034-1 柳澤利浩 TEL:089-974-2904

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