
久万高原町大川の八柱神社(やはしらじんじゃ)境内にある、堂山鎮守社の石碑──。
この石碑文には、今から約410年前、徳川と豊臣の最後の決戦によって豊臣家が滅亡した「大坂夏の陣」の記録が刻まれています。
そこにあるのは、村人の平穏な暮らしを願って戦地へと出陣していった大川の若者たちの姿、そして久万山の支配者交代を求めて激しく揺れた「佃十成(つくだ かずなり)の排斥運動」の記憶です。
歴史の荒波に翻弄された過酷な事実が、のちの時代に伝説化された物語のような文章となって、今も静かに石に刻まれています。


愛媛県上浮穴郡久万高原町大川【浮穴郡熊山大川邑堂山権現由記】
むかし此郷の狩人奥山にて鹿を見付、城ヶ森まて追ふに異形に見へ忽見へす、
夫より雨乞か森に烏騒けるを不審におもひ彼山に登れは岩石の前に水溜り有、
立寄て見れは珠のことくなる石に風調雨順民康の六字を現んす、
時昔宮人の入玉ふ御山と聞、其故やらんと思ひ軒口やすみねむりけるに夫婦の老翁来て告云く、
我は此山の主し也、必心穢の輩入事なけれ、我を信するものはなかく堂の森に来たりて石上の六字を祈らは無実の難を救ひ幸を得さしめんと云、
畢りて岩石へ登ると見れは夢覚たり、是こそ神託なりと思ひ伏しをがみ歓喜して此郷に帰、彼森にほこらを建、奉称堂山大権現と、日ゝに参籠して国家の幸を祈る、
此子孫石見と云ふ、神子かろうと口に住みて、毎月一七日之参籠して祈念し不思議たりしとなり
此神子慶長の比卒す、
戊辰両歳七月七日廟所かろうと口にて、村中寄集して供養有る、
又宗泉寺の表に弁天と称し惣川内の神主祭之、
然るに寛永三寅春群中至て及困窮に、此社に祈誓して人民松府に出て愁訴を成す、
直に戴君恩郡中潤色にうつり、
依之此郷の氏神惣川内の社内に御神殿を移し、惣祈願所とさだめ、其後益諸の願をかけ其しるしあらすとゆふ事なし、
此餘は神慮を恐れ秘する物也、必うたかふ事なかれ
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